Tuesday, May 7, 2013

Intellectual Property Right



@ikedanob さんを通じたメーリングリストでの会話
K氏
> 手前勝手な定義かもしれませんが、憲法が”保証するもの”がRightであり、
> 政府によって”与えられるもの”は、権利=Rightではなく、Priviledgeです。
> この定義では、特許は(無体)財産権でもなくなってしまい、
> 単なる政府からの特権もしくは恩恵となります。
> #特権と書くと、特別な権利という意味があるので、具合が悪いので
> 恩恵の方がいいかもしれません。

貨幣/紙幣自体の存在が、「政府によって定義されたもの」であり、それが
「財産」という「権利」として認知されている事を考えると、[Intellectual
Property]という概念が決して「政府からの特権・恩恵」だからといって
「財産」の「権利」という翻訳をよしとしない、ということにはならない
と思うのですが。

国家の存在なくして財産のassuranceはないと思います。
(つまり、財産を失った場合に国家に救済を求める事が出来ない、と言う事
でもあり、価値それ自体が大幅に減少しても憲法の救済は無い)

ただ、知的財産権それ自体はきわめて「国家策略/戦略的」な側面を
有するものであると言うのは、日本に特許法が導入されたのが
非常に歴史的にも古い、という事から考えても(明治維新後すぐに
国内の産業を海外のそれから保護するため)、妥当性があると
いえます。
また、確かに「恩赦」の側面が強いとしても、「権利は留保されるが
行使する事が出来ない」という法的な解釈を有するもの、と考える
事も可能かと思います。「君には権利があるがそれを裁判所で
行使する事は出来ないよ」・・・etc.
#私もよくまとめきれていないのですが(^^;

--

以前、「Intellectual Property Right」の事を「知的所有権」と
ずっと翻訳していた経緯があったと(IIRC:If I remember correctly)
記憶していますが、
「知的所有権」
よりは
「知的財産権」
のほうが適切に翻訳されていると思います。

尚、Property自体は
ラテン語で「自分自身のもの」の意味であり、独占・財産・所有と
どう翻訳してもさほどの違いはありませんが、「所有」には利益・利子が
つかないのが基本であるのに対し「財産」には利益・利子を生むものという
共通認識があることから、「知的財産権」とする事は国家戦略上での
メリットが大きいものと思います。
確かに、「独占権」という概念は「独占禁止法」と「特許法」の対比
(パワー・バランス)で言うと適切にも思えますが、反発を買う用語
であることは間違いないようです。

参考:Google検索ヒット数
知的所有権:72,800件
知的財産権:87,000件
知的独占権: 7,930件

P.S.  但し、私自身も、知的財産権の乱用には強い反発を覚えて
いるのも事実です。アンチ・パテントとプロ・パテントは、国家の
財政等々に大きく依存するものでありますが、両側面を「極端」に
してしまうと双方とも「産業の育成を強く阻害」する事につながります
のでね






小生
> P.S.  但し、私自身も、知的財産権の乱用には強い反発を覚えて
> いるのも事実です。アンチ・パテントとプロ・パテントは、国家の
> 財政等々に大きく依存するものでありますが、両側面を「極端」に
> してしまうと双方とも「産業の育成を強く阻害」する事につながります
> のでね

どうもです。
先に、キンセラさんの論文(against property right)を紹介しましたが、私が言いた
かったことはかなりキンセラさんの議論とオーバーラップしております。
キンセラさんが、あの論文で問題としているのは、IPRがPropertyRightsか?
しいては、自然権なのかということですね。この論点は明確ですが、しかし、
こんなことが、どうして問題なのかということは、普通、なかなか、
ピンとこないのではないかと思います。

アメリカは、独立宣言で、自然権を宣言してます。またその中で
政府は、その自然権をSecureするために作られたものであると明確に定義されてます。
そのため、アメリカのリバタリアンは、この建国の思想を足場にして主張する傾
向がありますね。
キンセラさんの主張は、私流に勝手にまとめると、IPR<>property rights=natural rights
であり、IPR=monopoly privilegeである。そして、この政府によって与えられた独占権に
よって、PropertyRightsが制限され、しいては社会の”目的”であるところの
自由が制限される。
だから、この問題はアメリカ憲法上の大きな問題である。といったかんじのリバタリアン
らしい主張だと思います。
この場合、cost/benefitの議論をしているわけではなくて、建国の思想
からの正統性を問うているわけです。

ちなみに、Utilitarianの見地では、”最大多数の最大幸福”=Cost/Benefitがその原
理ですから、いわゆる自然法だ自然権といった概念は問題にしません。
そもそも、ベンサムは自然法とか自然権を唾棄したうえで、”最大多数の最大幸福”
を持ち出してるわけですから。
ポズナーさんとかの、法と経済学派は、Utilitalian-libertarianと分類されるようです。
とはいえキンセラ氏にいわせると、UTILITALIANは、リバタリアンではないのでしょうが、
ポズナー氏は、 ”I AM A LIBERTARIAN”といってますから、やはり、リバタリアン
なんでしょう。

ところで、いわゆる自然権を主張するアメリカのリバタリアンは、このような
Utilitarianな考えを拒否し、自然権としてのProperty Rightsなり、Justiceを問題にします。
仮に効率がよくても、それがJusticeの見地から認められるとは限らないからですね。

「産業の育成を強く阻害するか否か」といった問題は、いわばutilitarianな議論であり、
必要かつ重要とは思うのですが、それに先立つ議論として、それがProperty Rightか
否かを問うことは、やはりラディカルな問いかけではないでしょうか。
日本では、こういった議論が成立する土壌は全くないと思いますが、アメリカで行われている、
このようなリバタリアンの議論は、法と社会を議論することはどういうことかを知るという
意味でも参考になるのではないかと思います。

下のTomBell氏のIPR論議も同様に面白いです。
http://www.tomwbell.com/writings.html


No comments:

Post a Comment